黒井千次

「ここまでで充分よ、ありがと」 「ここに立って、手でも振ってお見送りするか」  駅の改札口の前で足を止めた浩平は、溜息とともに自分に言いきかせるように呟いた。何が起ったのか、そして何がもう起らないのか、承知しているようでまだ認める気にはなれない平原のような領域が、駅の外の夕暮れ近い空の下に遠く拡がっているような気がした。 「私に見えるように、大きく振ってね」  笑いながら穏やかな表情で重子が言った。頷いた浩平は一度左右に肩を揺すってから、右手を高々と差し伸べる仕草を見せかけて途中で止めた。若い母親らしい女性に連れられて改札口から出て来た幼い子供が不思議そうな顔で足を止めて彼を眺め、すぐに引き立てられるようにしてまた歩き出す。  改札口をはいった重子は一度だけ振り返って彼に視線を投げ、すぐブリッジの階段に頭から消えていった。